なごやっくす(Twitter@omairi_dash)です。
和爾良神社(名古屋市名東区)にお参りしました。
このページに、神社の御祭神・由緒・ご利益や頂いた御朱印、さらにはアクセス・駐車場情報まで幅広くまとめておきます。
- 和爾良神社ってどんな神社なの?
- 和爾良神社の御朱印を見てみたい!
- 駐車場はあるのかな?
といった場合などに、ぜひ参考にしていただければと。
まずは、和爾良神社がどんな神社なのか、簡単に説明しますね。
村国神社(岐阜県各務原市)に続いての参拝です!
和爾良神社とは【御祭神・由緒】
- 御祭神:武内宿禰、誉田別命、木花開耶姫命、王仁吉師、大山祇神
- 社格など:十二等級、旧村社
- 例祭日:10月10日
※境内由緒、愛知縣神社名鑑(愛知県神社庁,1992)をもとに作成
和爾良神社の御祭神は、武内宿禰(たけしうちのすくね)、誉田別命、木花開耶姫命、王仁吉師(わにきし)、大山祇神の五柱。
安土桃山時代に、この地に居を構える武内宿禰の子孫が創建したと伝わります。
当時このあたりは、豊臣秀吉の海外出兵に伴う交通の要所として栄えており、宿禰の子孫は平和と安全を願って宿禰を祀ったんだとか。
拝殿
そして、和爾良神社は、明治の初めまで「原の天神様」と呼ばれていたそう。
神社の現住所は「猪子石”原”」で、神社の北には「天神下」という町名も存在します。
猪高村誌(加藤善右衛門,1918)には、「菅原道真公の像を安置していた」「明治維新の際、和爾良神社(和示良神社)に改称した」といった旨の記載がありました
また、神社創建時に植えられたトチノキは、「学問・長生き・五穀豊穣・繁栄」のご利益があるとして、近隣の人々から親しまれていたようですよ(木は平成初めに消失)。
境内社(左から英霊社・秋葉社・山ノ神社)
- 文禄2年癸巳(1592年)10月6日:武内宿禰の子孫により創建
- 延喜式神名帳に「山田郡和示良名神」とある(延喜式内社論社とも)
- 本国神名帳に「從三位和示良天神」とある
- 明治5年7月:村社に列格
- 明治41年(1908年)5月13日:浅間社(西ノ切)と山神社(欠ヶ下)を本社に合祀
※境内由緒、愛知縣神社名鑑(愛知県神社庁,1992)をもとに作成
和爾良神社の御朱印
和爾良神社の御朱印です。
過去に何度かお参りしていた和爾良神社ですが、神社の方は非常駐。
今回、お正月の三が日に参拝したところ、めでたく御朱印を受けることができました。
くわしくは、以下の記事をご覧ください。
和爾良神社へのアクセス【地図】
- 住所:愛知県名古屋市名東区猪子石原1-503
- 公共交通機関でのアクセス:猪子石西原バス停(市バス)から徒歩4分
- 車でのアクセス
- [名古屋IC方面]引山IC(名二環)から5分
- [清洲JCT方面]大森IC(同上)から5分
名古屋中心部から向かう場合、栄バスターミナル(オアシス21のりば)から出ている、基幹2系統(引山・四軒家行き)のバスに乗ればOK。16駅37分ほどで猪子石西原バス停に着きますよ
和爾良神社の駐車場
境内西のスペース、奥の数台分が参拝者駐車場になっていました。
鳥居横から進入できます。
駐車場の様子
まとめ
百度石
最後までお読みいただきありがとうございます。
この記事の要点をまとめました。
- 和爾良神社は、安土桃山時代に武内宿禰の子孫が創建したと伝わる神社
- 明治の初めまでは「原の天神様」と呼ばれていた
- お正月には御朱印も頂けた
なお、参拝所要時間は10分ほどでした。
お参りする際の参考にしていただければと思います。
鳴海八幡宮の両部鳥居
さて、和爾良神社をあとにして次に向かったのは鳴海八幡宮(なるみはちまんぐう)。
名鉄鳴海駅とJR大高駅のあいだに鎮座し、「鳴海表方祭り」の山車曳きや猩々で知られる神社です(鳴海裏方祭りは成海神社の祭礼)。
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鳴海八幡宮(名古屋市緑区)にお参りしました。この記事に、神社の御祭神・由緒(歴史)ご利益や頂いた御朱印、さらにはアクセス・駐車場情報まで幅広くまとめておきます。猩々で知られる鳴海祭(表方)は、ココ鳴海八幡宮の例大祭です。
和爾良神社周辺の神社仏閣
- >>猪子石神明社(徒歩10分・境内には「耳」や「おしり」に関わる神様も)
- >>大森八劔神社(車で9分・金城学院大学に隣接。平安京遷都の前年創建と伝わる古社)
- >>渋川神社(車で12分・天武天皇の大嘗祭と関連の深い延喜式内社)
- >>長母寺(車で14分・尾張33観音第28番。開山無住国師は尾張万歳の創始者)
名古屋市の神社仏閣一覧
名古屋市の神社仏閣をエリア別に紹介しています。神社仏閣巡りや観光旅行・お出かけの参考になれば幸いです。