氣比神宮(気比神宮・福井県敦賀市)にお参りしました。
「おくのほそ道」に「けいの明神に夜参す」とあることから、氣比神宮の境内ほぼ全域が「おくのほそ道の風景地」として国指定名勝になっています。
このページには、奥の細道で芭蕉が氣比神宮に参拝したときの様子と、境内の句碑に刻まれた俳句についてまとめておきますね。
【おくのほそ道】松尾芭蕉と氣比神宮
敦賀びー旅さんの投稿 2021年10月15日金曜日
敦賀びー旅(敦賀観光協会)Facebookより
元禄2年(1689)旧暦8月、芭蕉は仲秋の名月を敦賀の港で観賞するため、前日14日の夕暮れに敦賀の宿・出雲屋に到着しました。
その夜の月はとくに見事でした。
芭蕉は宿の主人に「明日もこれくらい美しい月が見られるでしょうか」と尋ねます。
主人は「北陸の天気は変わりやすく、明日は晴れるかどうか分からない」と答え、芭蕉に酒を勧めました。
その後、芭蕉は気比神宮に向かいました。
境内は神々しく、松の木々の間からは月の光が漏れています。神前の白砂はまるで霜を敷き詰めたようです。
宿の主人は言います。「正安3年(1301)、遊行2世の他阿上人が自ら砂を運び、ぬかるむ参道を整備しました。おかげで今では気持ちよく参拝できます。以来、歴代の上人が神前に砂を運ぶのが伝統になっており、これを『遊行の砂持ち』と呼んでいます」と。
芭蕉はこの「お砂持ち」の神事に感銘を受け、美しい月夜とともに句を詠みました。
- 月清し遊行のもてる砂の上
(歴代の遊行上人が運んだ白砂の上を、月光が清らかに神々しく照らしている)
翌日15日は宿の主人の言葉どおり、雨が降りました。
ここでも芭蕉が一句。
- 名月や北国日和定めなき
(せっかくの仲秋の名月なのに、変わりやすい北陸の天気で、あいにく雨になってしまった)
芭蕉は翌16日、船で色ヶ浜へ向かいます。
観賞することが叶わなかったにも関わらず、敦賀の仲秋の名月が俳句として詠まれ、こうして現在まで残っているところがスゴい…!
【芭蕉句碑】俳句まとめ
- なみだしくや遊行のもてる砂の上
(「月清し遊行のもてる砂の上」の初案)
- 国々の八景更に氣比の月
(国々の八景を見て回り、さらに気比で月を眺めることだ) - 月清し遊行のもてる砂の上 (前出)
- ふるき名の角鹿や恋し秋の月
(秋の月が照らす港を見ていると、大陸との交通が盛んだった頃の角鹿という古名が恋しく思われる) - 月いづく鐘は沈める海の底
(月は雨で見えない。新田義顕の陣鐘は海底に沈んでいる。月も見えず鐘の音も聞こえない十五夜だ) - 名月や北国日和定なき (前出)
角鹿(つぬが)は、敦賀のもとの地名。氣比神宮の境内摂社・角鹿神社の御祭神である都怒我阿羅斯等命(つぬがあらしとのみこと)から来ています
おまけ!境内には俳句ポストも設置されていました。
お参り中に良い句が作れたら投函しようと思ったのですが、まったく思い浮かびませんでした(笑)
参考文献
- 松尾芭蕉の足跡を辿る|敦賀観光協会
- 気比神宮が名勝「おくのほそ道の風景地」に指定|敦賀市
- 芭蕉DB|伊藤洋|山梨県立大学
- 現地案内板「国指定名勝 おくのほそ道の風景地 けいの明神 (氣比神宮境内)」(敦賀市教育委員会)
- 氣比神宮 御由緒・参拝案内(氣比神宮社務所発行)
- ビギナーズ・クラシックス おくのほそ道(全)(2001,角川書店)
- 芭蕉全句集 現代語訳付き(2010,角川ソフィア文庫)