なごやっくす(Twitter@omairi_dash)です。
伊富岐神社(岐阜県不破郡垂井町)にお参りして、気持ちの良い時間を過ごしてきました。
伊吹山を背後にして鎮座する、美濃国二宮です。
この記事では、そんな伊富岐神社の御祭神や頂いた御朱印、さらにはアクセス情報まで、幅広くお届けしていきます。
- 伊富岐神社にお参りしたい!
- 境内の様子が気になる…
- 一の鳥居が離れた場所にあるって聞いたけど?
- 神社へのアクセス方法を知りたい
といった場合は、ぜひ参考にしていただければと。
まずは、伊富岐神社の御祭神や由緒を簡単に紹介しますね。
南宮御旅神社に続いての参拝です。この日は大垣駅&垂井駅周辺で寺社史跡巡りを楽しみました
伊富岐神社とは?【御祭神・由緒】
拝殿。アクアブルーの賽銭箱も印象的です
- 御祭神:多多美彦命(たたみひこのみこと)
- 社格など:美濃国二宮、延喜式内社、旧県社
- 神紋:五七桐
- 例祭日:4月2日
※毎年4月第2日曜日の伊吹祭りで、神社に神楽が奉納されます - 公式サイトなど:伊富岐神社|岐阜県神社庁
※岐阜県神社庁Webサイト、垂井町観光協会、岐阜縣神社名鑑(岐阜県神社庁,2017)などをもとに作成
境内の説明書きによると、伊富岐神社は伊福氏(伊福部氏)の祖神を祀る神社。
伊福氏は伊吹山麓に勢力を張っていた豪族で、神社付近には石器時代の遺跡や山頂古墳も多いとのことでした。
一方で、岐阜縣神社名鑑に記載の御祭神は多多美彦命。
由緒には「天火明命の子孫・伊福氏の本貫同氏等の氏神として創祀した」とあります。
境内には味のある石灯籠も
- 創建年紀などは不詳
- 仁寿2年(852年)12月:官社に列せられる(文徳天皇実録)
- 貞観7年(865年)5月18日:従五位下から従四位下に授けられる(三代実録)
- 元慶元年(876年)2月21日:従四位上に授けられる(同上)
- 延長5年(927年)の延喜式神名帳に「伊富岐神社」とある
- 美濃国神名帳に「正一位伊福貴大明神」とある
- 慶長5年(1600年):関ヶ原合戦の兵火により社殿焼失
→寛永13年(1636年):再興される - 明治6年(1873年):郷社に列する
→大正7年(1918年):縣社に昇格 - 昭和27年(1952年)1月16日:稲荷神社(境内社)を合併する
※岐阜縣神社名鑑、垂井町観光協会Webサイトをもとに作成
境内にあった祠。稲荷神社かな?
- 壬申の乱の際、大海人皇子(後の天武天皇)のために野上の行宮に奉祀
- 和銅6年(713年):伊福部君荒當が美濃守・笠朝臣麻呂と木曽路を開き、田二町歩を与えられる
- 平安京遷都の際、殷富門(伊福部門)の造営を行なう
※垂井町観光協会Webサイトなどをもとに作成
「木曽路を開いた」という伊福氏の功績にあやかって、新しい道を切り開きたいときなどに伊富岐神社にお参りすれば、ご利益にあずかれるかも!?
伊富岐神社の御朱印
伊富岐神社の御朱印です。
南宮大社の授与所で記帳していただきました。
墨書きにすると「伊富岐」の三文字がさらにカッコ良く見える…!
なお、御朱印のさらに詳しい情報は以下の記事をご覧ください。
頂き方(場所・値段・時間のめやす)についても触れていますよ。
伊富岐神社(岐阜県垂井町・美濃国二宮)の御朱印を拝受したので、御朱印の頂き方(場所・値段・時間のめやす)とともにまとめておきます。伊吹山を背後に鎮座する神社です。御朱印は美濃国一宮の南宮大社(垂井町宮代)で記帳していただきました。
さて記事の後半では、伊富岐神社の境内風景(見どころ)と、アクセス・駐車場情報をご紹介しますね。
伊富岐神社の境内風景【見どころ】
まずは、伊富岐神社の境内風景から。
僕がお参り・散策した順番に沿ってお届けします。
神社の南50mほどの場所に建つ社号標です。
よく見ると「縣」の所に修正した跡が見えます。
郷社から縣社に昇格した際、ココだけくり抜いて直したのでしょうか。
少し進んだところには、かつてココに両部鳥居が建っていたことを示す石碑が。
何気なく撮ったこの1枚が、あとで重要な役割を果たすことを、この時の僕はまだ知る由もなかった…!
神社前に到着。丸で囲ったところにそれぞれ橋が架かっています。
コレは南宮大社と同じ構図で、左の石輪橋は神様が通られる橋ですね。
ということで、右側の石平橋を渡って手水舎へ向かいます。
手水舎です。山や田畑に囲まれた人気(ひとけ)のない神社でしたが、龍の口からとめどなく水が流れ出ています。
この水のおかげで、常に場が清められている&エネルギー(気)が循環しているのを感じました!
いよいよ拝殿でお参り…なのですが、印象的だったのが拝殿脇(写真左)にそびえ立つ御神木「伊富岐神社の大杉」です。メチャメチャデカい…!
境内の立札によると、関ヶ原の戦いで社殿が焼失した際、御神体は木の幹が分かれた所に安置してあったため無事だったそうですよ。
スギは地上5mあたりから4本の幹に分かれています。枝張りは東西約10.5m、南北約16m。根元の周囲は約6.8m、目通り約6.6mで、高さは約30mだということです
- 伊富岐神社の大杉(県指定天然記念物)
- 伊富岐神社経塚遺物(町指定工芸品)
→鎌倉時代のものと推定、大正15年出土 - 伊富岐神社棟札(町指定典籍)
→中央に「造伊福貴大菩薩社」と記載 - 伊富岐神社古絵図(町指定古文書)
→桃山時代のものとされる
参考:垂井町観光協会Webサイト
残す画像は、あと3枚!
拝殿からお参りしたあとは、瑞垣の前からもう一度、本殿に向けて手を合わせます。
ちなみに、本殿両脇にも社殿(祠)がありました。神社辞典(東京堂出版,1997)の伊富岐神社の項には「多々美彦命を主神とし、御子明神を配祀している」とあります
境内の端に何やら木材のようなモノが。
神社前にあった石碑の記憶が蘇ります。
おそらくですが、コレはかつての両部鳥居の笠木(島木)なのでは。何だか楽しい…!
ラストは伊富岐神社の一之鳥居です。
神社から南南東に一本道(約900m)、JR東海道本線の線路を渡ってスグの、旧中山道沿いに建っています。
その昔、中山道を歩く旅人を、神社に誘導する役割を果たしていたのでしょうか。
あれこれ考えを巡らせるのは楽しいですね。充実したお参りになりました!
伊富岐神社へのアクセス【地図】
- 住所:岐阜県不破郡垂井町伊吹1484-1
- 電車でのアクセス
- 関ヶ原駅(JR東海道本線)から徒歩39分
(タクシーで8分) - 垂井駅(同上)から徒歩47分
(タクシーで12分)
- 関ヶ原駅(JR東海道本線)から徒歩39分
- 車でのアクセス:関ヶ原IC(名神高速道路)から8分
- 地図(グーグルマップ)
地図のとおり、垂井や関ヶ原の市街地からは少し離れた場所に鎮座しています。公共交通機関で向かう場合、駅からのタクシー利用も検討してみては
伊富岐神社の駐車場は?
神社前に、車を停められそうなスペースがありました(上の写真)。
お参りしているあいだ、車どころか人っ子一人通らなかったので、周りに配慮したうえで停めさせてもらえそうです。
まとめ
社務所
最後にこの記事の要点をまとめました。
- 伊富岐神社は伊福氏の祖神を祀る美濃国二宮(延喜式内社)
- 南宮大社の授与所で御朱印を頂けた
- 拝殿脇の御神木「伊富岐神社の大杉」は迫力満点
最後までお読みいただきありがとうございます。
ちなみに参拝所要時間は20分ほどでした。
お出かけの計画を立てる際の参考にしていただければと思います。
南宮大社楼門(国指定重要文化財)
さて、伊富岐神社をあとにして次に向かったのは南宮大社(なんぐうたいしゃ)。
歩いて49分(4.1km)、車なら11分での到着です。
南宮大社は、全国の鉱山・金属業の総本宮として崇敬を集める、美濃国の一宮。
以下から次の記事へとお進みください。
次の記事はこちら【南宮大社】
南宮大社(岐阜県垂井町)で気持ちの良い時間を過ごしてきました。この記事に、神社のご利益や頂いた御朱印&御朱印帳、さらにはアクセス・駐車場情報などをまとめておきます。全国の鉱山・金属業の総本宮として深い崇敬を集める美濃国一宮です。
そのほか伊富岐神社周辺の寺社史跡
- >>南宮御旅神社(車で8分・美濃国府跡も)
- >>大垣八幡神社(車で24分・境内に自噴井戸)
- >>大垣城(車で25分・関ヶ原の戦いの戦場)
- >>濃飛護國神社(車で25分・大垣公園に鎮座)
※近くに常葉神社と大垣大神宮も鎮座しています
岐阜県の神社仏閣一覧
岐阜県の神社仏閣を市町村別に紹介しています。神社仏閣巡りや観光旅行・お出かけの参考になれば幸いです。