無量壽寺(無量寿寺・愛知県知立市)にお参りしました。
このページには、無量壽寺の歴史についてまとめておきますね。
無量壽寺の由緒
寺伝によると、無量壽寺は奈良時代の慶雲元年(704)に真言宗のお寺として創立されました。
当時は東海山慶雲寺と呼ばれ、豊田市駒場町平古あたりにあったと伝わります。
平安時代の弘仁12年(821)に、蜜円師が住持して無量寺に改称。延喜2年(902)には、山号が八橋山となり現在地の八橋に移ります。
その後、延文5年(1360)に臨済宗の慧玄禅師が住し、文安5年(1448年)に禅源大済禅師が中興。江戸時代の宝永8年(1711)に臨済宗妙心寺派となりました。
文化9年(1812)には、方巌売茶翁による再建が行なわれ、かきつばた池の庭園が煎茶式の庭に改造されます。
三河富士と呼ばれる村積山や逢妻川を借景とした、煎茶式の庭園です。
無量壽寺の歴史年表
- 慶雲元年(704):真言宗として創立。東海山慶雲寺と呼ばれる
- 弘仁12年(821):東海山無量寺に改称
- 延喜2年(902):山号を八橋山とし、現在地に移る
- 延文5年(1360):臨済宗・慧玄(恵玄)禅師が住する
- 文安5年(1448):禅源大済禅師により中興
- 宝永8年(1711):臨済宗妙心寺派となる
- 文化9年(1812):方巌(八橋)売茶翁が再建。かきつばた園を改造
ぼく(なごやっくす)
在原業平が生きたのは、平安時代の825-880年。かきつばたの歌が見える古今和歌集や伊勢物語の成立も平安時代です(古今和歌集は905年ごろ。伊勢物語は不詳)
参考文献
- 参拝のしおり「三河国八橋 八橋山 無量壽寺」
- かきつばたの名勝地 三河国八橋(八橋旧蹟保存会,2021)