無量壽寺(無量寿寺・愛知県知立市)にお参りしました!
このページには、無量壽寺の見どころをまとめておきますね。
在原業平像・かきつばた歌碑
伊勢物語の主人公とされる在原業平像と、かきつばたの歌が刻まれた歌碑が並んで建っています。
- からころも きつつなれにし つましあれば
はるばるきぬる たびをしぞおもふ
>>[関連]【在原業平】かきつばたの和歌|意味と技法
業平が東下りの途中で、八橋のかきつばたの美しさに惹かれて詠んだ和歌です。かきつばた越しの業平像が映えていました!
八橋史跡保存館
八橋史跡保存館には、八橋かきつばたの歴史や文化にまつわる文化財が保存されています。
僕が訪れたのは、かきつばたまつりの期間中。尾形光琳作の『八橋蒔絵螺鈿硯箱(複製)』『燕子図屏風(複製)』や、琉球楽器「長線」のレプリカが展示されていました!
杜若姫供養塔
東下りの在原業平を思い慕って八橋に辿り着いた「杜若姫」が、業平の心を射止められず、悲しんで池に身を投げた伝説があります。
そんな杜若姫を憐れみ建てたと思われる、高さ約1m・花崗岩製の宝篋印塔です。
寺伝では杜若姫は、小野篁の娘で備前守葛紘の姉とされています。
ひともとすすき【縁結び】
謡曲「井筒」の故事にならって植えたと伝わる薄(すすき)です。
「葉を片手で結ぶと願いが叶う」との言い伝えから「縁結びのすすき」と言われています。
たくさんの葉が結ばれていたので、僕もチャレンジしました。上の写真です。なかなか上手く結べた気がする…! 「井筒」は伊勢物語の第二十三段「筒井筒」を元に構成された能の曲だと思われます
伝説二児の墓【地名の由来】
八橋(やつはし)の地名由来物語に登場する、2人の男の子のお墓です。
男の子の母親・師孝尼が、川に8つの橋を架けたことから、この地が「八橋」と呼ばれるようになりました。
芭蕉連句碑
貞享2年(1865)に、松尾芭蕉が鳴海の俳人・下里知足の家を訪れて詠んだとされる歌が刻まれています。
- かきつばた 我に発句の おもひあり 芭蕉
かきつばたの花を前にすると、私の中から発句を詠もうという思いが湧き上がってくる - 麦穂なみよる 潤ひの里 知足
連句とは、上のように長句(五七五)と短句(七七)を2人以上で交互につなげたものです。
碑を建てたのは、知足の子孫・下郷学海(下里から改姓)。三河に残る代表的な芭蕉句碑の1つとされています。
芭蕉も業平のかきつばたの和歌をバチバチに意識していたのかもしれませんね。知立神社にも芭蕉句碑があったのを思い出しました!
その他の見どころ
- 八橋古碑(亀趺=亀形の台石)
寛保2年(1742年)に、岡崎藩・秋本嵎夷の撰文、国文伯機の書で建立。八橋と在原業平の故事が難解な漢文で書かれています - 業平竹
植えられた時期は不明ですが、江戸時代の文献に「業平竹」の記述が見られます。縁結びの竹として信仰されているそうです - 祖風翁句碑
「かきつばた 夏も むかしの なつならず」
池鯉鮒を代表する文化人だった井村祖風の句碑です。祖風没後の文化8年(1811)に、門人らによって経巻型式で建てられました - 八橋舊蹟石碑
京都の八ッ橋屋・西尾為治から寄進された石碑。為治は明治29年(1896)に、17歳にして菓子博の金賞を受賞した天才職人です
知立神社の入口鳥居近くにも、祖風句碑があります。知立神社の芭蕉句碑は祖風の働きかけによって建てられたものです
参考文献など
- 現地案内板(知立市教育委員会など)
- 無量壽寺|知立市
- かきつばたの名勝地 三河国八橋(八橋旧蹟保存会,2021)
- リーフレット「史跡八橋かきつばたまつり」(2022)
- 芭蕉全句集 現代語訳付き(2010,角川ソフィア文庫)
- 参拝のしおり「三河国八橋 八橋山 無量壽寺」
- まんが版八ッ橋誕生物語|本家西尾八ッ橋