無量壽寺(愛知県知立市)在原業平像とかきつばた01

無量壽寺(無量寿寺・愛知県知立市)にお参りしました!
このページには、無量壽寺の見どころをまとめておきますね。

>>史跡八橋かきつばた祭りについてはこちら

在原業平像・かきつばた歌碑

無量壽寺(愛知県知立市)在原業平像・かきつばた歌碑02

伊勢物語の主人公とされる在原業平ありわらのなりひら像と、かきつばたの歌が刻まれた歌碑が並んで建っています。

  • からころも きつつなれにし つましあれば
    はるばるきぬる たびをしぞおもふ

>>[関連]【在原業平】かきつばたの和歌|意味と技法

ぼく(なごやっくす)ぼく(なごやっくす)

業平が東下りの途中で、八橋のかきつばたの美しさに惹かれて詠んだ和歌です。かきつばた越しの業平像が映えていました!

八橋史跡保存館

八橋史跡保存館(愛知県知立市)観覧券01

八橋史跡保存館には、八橋かきつばたの歴史や文化にまつわる文化財が保存されています。
僕が訪れたのは、かきつばたまつりの期間中。尾形光琳作の『八橋蒔絵螺鈿硯箱(複製)』『燕子図屏風(複製)』や、琉球楽器「長線ちゃんせん」のレプリカが展示されていました!

>>[詳細]八橋史跡保存館を見学してきたよ

杜若姫供養塔

無量壽寺(愛知県知立市)杜若姫供養塔01
杜若姫供養塔(市指定文化財)

東下りの在原業平を思い慕って八橋に辿り着いた「杜若姫かきつばたひめ」が、業平の心を射止められず、悲しんで池に身を投げた伝説があります。
そんな杜若姫を憐れみ建てたと思われる、高さ約1m・花崗岩製の宝篋印塔です。
寺伝では杜若姫は、小野篁おののたかむらの娘で備前守葛紘かつひろの姉とされています。

ひともとすすき【縁結び】

無量壽寺(愛知県知立市)ひともとすすき(縁結び)01

謡曲「井筒」の故事にならって植えたと伝わる薄(すすき)です。
「葉を片手で結ぶと願いが叶う」との言い伝えから「縁結びのすすき」と言われています。

ぼく(なごやっくす)ぼく(なごやっくす)

たくさんの葉が結ばれていたので、僕もチャレンジしました。上の写真です。なかなか上手く結べた気がする…! 「井筒」は伊勢物語の第二十三段「筒井筒」を元に構成された能の曲だと思われます

伝説二児の墓【地名の由来】

無量壽寺(愛知県知立市)伝説羽田玄喜二児の墓(八橋地名の由来)01

八橋(やつはし)の地名由来物語に登場する、2人の男の子のお墓です。
男の子の母親・師孝尼しこうにが、川に8つの橋を架けたことから、この地が「八橋」と呼ばれるようになりました。

>>[詳細]【八橋】地名の由来|物語など

芭蕉連句碑

無量壽寺(愛知県知立市)芭蕉連句碑01
芭蕉連句碑(市指定文化財)

貞享2年(1865)に、松尾芭蕉が鳴海の俳人・下里しもざと知足ちそくの家を訪れて詠んだとされる歌が刻まれています。

  • かきつばた 我に発句の おもひあり 芭蕉
    かきつばたの花を前にすると、私の中から発句を詠もうという思いが湧き上がってくる
  • 麦穂なみよる 潤ひの里 知足

連句とは、上のように長句(五七五)と短句(七七)を2人以上で交互につなげたものです。
碑を建てたのは、知足の子孫・下郷学海がくかい(下里から改姓)。三河に残る代表的な芭蕉句碑の1つとされています。

ぼく(なごやっくす)ぼく(なごやっくす)

芭蕉も業平のかきつばたの和歌をバチバチに意識していたのかもしれませんね。知立神社にも芭蕉句碑があったのを思い出しました!

その他の見どころ

  • 八橋古碑(亀趺きふ=亀形の台石)
    寛保2年(1742年)に、岡崎藩・秋本嵎夷ぐういの撰文、国文伯機はくきの書で建立。八橋と在原業平の故事が難解な漢文で書かれています
  • 業平竹
    植えられた時期は不明ですが、江戸時代の文献に「業平竹」の記述が見られます。縁結びの竹として信仰されているそうです
  • 祖風翁句碑
    「かきつばた 夏も むかしの なつならず」
    池鯉鮒を代表する文化人だった井村祖風の句碑です。祖風没後の文化8年(1811)に、門人らによって経巻型式で建てられました
  • 八橋舊蹟石碑
    京都の八ッ橋屋・西尾為治ためじから寄進された石碑。為治は明治29年(1896)に、17歳にして菓子博の金賞を受賞した天才職人です
>>[関連]三河国八橋と本家西尾八ッ橋【京都銘菓】
ぼく(なごやっくす)ぼく(なごやっくす)

知立神社の入口鳥居近くにも、祖風句碑があります。知立神社の芭蕉句碑は祖風の働きかけによって建てられたものです

参考文献など

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