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萬年山常福寺(愛知県大府市)にお参りしました。
平安時代末期に平家に仕えて戦った、平景清(藤原景清)ゆかりのお寺です。
このページには、そんな常福寺の歴史(由緒)についてまとめておきます。
壇ノ浦の戦い(1185年)に敗れた景清が、大府の地に逃れてきたところからがスタートです。
平景清の隠棲と千手観音の夢告
壇ノ浦の戦いで敗れ、この地に逃れた景清は、名主・浅田八太夫の許可を得て「芦沢の井」あたりに住むことに。
景清はつねに「観世音菩薩」を唱え、娘の安否と一族の供養を念じ続けます。
観音堂。景清が彫った千手観音像(秘仏)が本尊です
読経が満願した夜、景清の夢に千手観世音菩薩が現れ、96文字の観音経を授けました。
景清はその経を木に刻み、さらに夢に出てきた千手観音の木像を彫刻したそうです。
書籍「愛知札所めぐり」によると、寺院には景清が刻んだ「夢想口授の観音経」の版木が残っています
景清の死と常福寺の誕生
生目八幡宮。景清の墓所とされています
寺伝によると、景清は建保2年(1214年)に、この地で亡くなったそう。
村人は景清を弔うために、故人の彫った千手観音像を本尊としてお寺を建てました。
灯籠
寺号は「常に景清の冥福を祈る」ことから、常福寺にしたんだとか。
お寺には「水鑑景清大居士」と刻まれた、景清の位牌も現存しています(書籍「遍路知多めぐり」より)。
大府市誌によると、もとの山号は「満念山」。観音菩薩の徳に報いる「念願満足」の意味があるそうです
まとめ【開基・開山】
最後までお読みいただきありがとうございます。
このページの要点をまとめました。
- 壇ノ浦の戦いで敗れた平景清が、この地に逃れたのがお寺の起源
- 村人が景清を弔うために、故人の彫刻した千手観音像を本尊としてお寺を建立した
- 常福寺の寺号は「常に景清の冥福を祈る」ところから来ている
平景清については謎が多く、各地にさまざまな伝説が残されています。
それ故に、能・浄瑠璃(出世景清)・歌舞伎(十八番)などの題材とされることも多いようです。
出世景清をモチーフにしたゲーム「源平討魔伝」も、昭和末期に人気を博したんだとか!
【常福寺】関連ページ一覧
- 常福寺について【まとめ/アクセスなど】
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- 常福寺の御朱印|知多四国6番
- 生目八幡宮【平景清墓所】
- 景清神社【芦沢の井】